2011年5月7日土曜日

今日のカズオ

今日カズFinal 1

今日カズFinal 2

今日カズFinal 3

今日カズFinal 4

今日カズFinal 5

今日カズFinal 6

 

2年半ありがとうございました ー完ー

2011年5月6日金曜日

カズオ物語

ー2004年春ー

専門学校を卒業し、デイ動物病院へ就職

とりあえず仕事を覚えるのに必死でした

そんな時、付き合いのあるペットショップから「食べても大きくならない」といった理由でその犬はやってきました

その時の症状や血液検査から「門脈シャント」と診断され「それほど長く生きられない」という結論から「それなら病院で引き取る」ということで病院付けの犬になりました

その犬は「カズオ」と名付けられました

それからすぐ状態が悪くなりもう駄目かと思われつつも何とか回復し、成長していきました

みんなの意識が「長く生きられない」となっていて、私もそう思っていましたので、当時は数いる病院の犬猫の1人という認識しかありませんでした

あの頃は何事にも興味を示さずケージから出せばあてもなくひたすら院内を歩き回り、スタッフの誰をも認識せず本当におかしな犬でした

門脈シャントなので、肝臓・腎臓・脳に障害がありますが、停留精巣、膝蓋骨脱臼等も判明しました(後に血が固まりにくい血液凝固異常も判明しました)

いつのことだったでしょう

ふと思いました

いつ死ぬかも分からないような病気を抱えているにも関わらずひたむきに、真っ直ぐに生きる姿に私は再び「生きる事とは」をカズオから教えられました

その時から私は「そんな大切なことを教えてくれたカズオを、世界一幸せな犬にしよう」と心に決めました

その後、まだまだ結婚する前の富山さんと3人で初めての旅行に行き、一気に私の心はカズオに引き付けられました

ちなみに富山さんには「友達を連れていくから」と言って会わせました

 

ー2008年4月ー

兄さんが生きてる時点で「これが最後の同居動物だ」と固く決めていたのに気が付けばカズオを休みの度に家に連れ帰っていました

そしてほぼ同時期に病院ブログが始まりました

頻繁に更新するほどのネタもなく、ふと「そうだ、カズオがいた」と思い始めたブログ

最初はカズオの生きた証に残ればいいと思って自分のために始めたブログ

いつしか読んでくれている人が現れその数は増えていきました

「それならば、表面上はおもしろおかしいだけど実は生きる事とは?をカズオを通して伝えていこう」という趣旨に変えていきました

そんなブログもわずか半年で終了の危機になりました

カズオの状態が今までにないくらいひどくなりました

 

ー2008年9月ー

その日は休日でした

歩いてもヨタヨタ、そのうち下半身に力が入らず真っ直ぐ歩けない状態に

翌日も変わらないどころか動けなくなり意識もはっきりしなくなりました

私はすぐに二次診療を受診させ手術をさせる決意をし、怒られても構わないので院長に嘆願しました

院長から了承を受けすぐに紹介状を作成し送りました

本当に最悪のタイミングだったのですが、そんな最中に私は富山に行かなくてはなりませんでした

富山さんとの結婚を申し込むために

正直そんな気分にはなれませんでした

いつ亡くなってもおかしくないような状態なのにすぐに帰ってこれない場所まで行かなくてはならない

「今は行きたくない」

涙ながらにそう言う私に周り(家族・富山さん)は冷たかった、と勝手に思っています

半ば強引に富山さんの両親に会い(会わされ)用事を済ませすぐ帰って来ましたが、その時間は本当に長かったです

病院に戻った私を待っていたのは状態が変わらないカズオでした

意識はほとんど無く、頻繁に「ビク!」と発作様症状を起こす・・・

私は自分の無力さと、みなさんから頂くメッセージに毎晩泣いていました

毎晩泊りがけでの看病をし、日中は仕事

スタッフが私とカズオを心配して遅くまで病院に残ってくれました

みんなの理解と協力があればこそ成し遂げられたと思います

院長と同僚看護師に心から感謝しています

 

ー2008年10月ー

二次診療に行く日

カズオはもってくれました

しかし「今のままで手術に臨むのは危険」ということでした

「低血糖に対する処置を施した」と言われて見たカズオは久しぶりに立っていました

ものすごく安堵しました

1週間かけて治療をし、手術が出来る状態までもっていき手術と言うことになりました

毎日昼の時間を抜け出させてもらいお見舞いに行きました

徐々に元気になるカズオを見て「これならなんとかなる」そう信じていました

少しでもカズオを感じたいと、手術前日から近くのホテルに泊まり、歩いて二次診療施設まで行き、前をうろついてました

迎えた手術当日

「もしかしたらこれが最後になるかも・・・」

そう思いつつ午前中の面会を済ませ待つこと1時間

呼ばれて話された内容は

「手術をしても肝臓が良くなる可能性はなく、麻酔をかけた時点で死ぬ可能性が高い。今の状態でもそれほど長くはないだろう」

そこにはクタッとしたカズオが

付き添ってくれたスタッフと泣きながら相談して「それなら少しでもいい最期を迎えられるようにしてあげよう」と退院することを決めました

暗い雰囲気のまま病院に帰って来ました

そんなことをよそに病院に着いたカズオは妙に元気になっていました

今までのことは一体何なんだ・・・

と思うくらい元気でした

使いすぎて手足の血管に点滴の管が入らないので首に管が入っており痛々しいですが、まだ油断できないので取ることもできません

この日から二人で朝出勤・夜帰宅というカズオと私の新たな生活が始まりました

元気には元気なのですが・・・食べない

最初は食べても次の日には食べない、そんなことはザラでした

色々知恵を絞って作った「カズオ粥」もそんな1品でした

休みの日はカズオが食べそうなおやつを買いにホームセンターへ

色々買ってもやはり食べません

そんなところにきゃるはなさんがおやつを持ってきてくれました

食べました

そして出会った「カズバー」

この辺りから食欲が戻って来ました

私の前では元気に吠えてよく食べる

なのに、用事で見る事ができない日にスタッフに1晩預けると体調を崩していました

 

最初、夜はケージに入れていました

1度フリーにしてみたのですが、全く落ち着くことなく朝を迎えたことがあったので、止めました

しかし日を追うにつれ夜も落ち着いて寝るようになりました

おしっこもきちんとペットシーツにするようになりました

うんちは・・・出発地点と終着地点があり定まりませんでした

言うまでもなく私を認識し、どこに行くにも着いてきました

どんどん普通の犬らしくなるカズオ

アホではなかったんだな、と思いました

カズオがいる毎日に幸せを感じていました

 

ー2010年9月ー

鬼門の時期到来

カズオが具合を悪くしたこの時期、毎年ドキドキします

そういえばこの頃からカメラを向けても吠えなくなっていた気がします

何とか乗り越えた10月

低血糖からくる軽い昏睡状態に

ブドウ糖を飲ませると起き上がりましたがその後もパッとしない感じでした

私を良く知るスタッフは「まさか子供(カズピロ)が生まれるのと引き換えに死んじゃうんじゃ!?」と言っていましたが、私もそんな嫌な予感が頭をかすめていました

そんなことも徒労に終わり、カズピロは生まれ、カズオも元気を取り戻しました

とは言うものの、やはりスッキリしないなぁとは思っていました

そして迎えた12月

なんとかここまでこれた・・

それでも二次診療を退院した頃以来の浮腫みも出始め多少の不安もありましたが、できることはやってきたつもりでした

いつもの元気はないけどこれ以上悪くなる様子もない

そんな感じで時は進んで行きました

ー26日ー

久々に友人の家へ

車の中でも友人宅に着いてもいつもの感じでした

立ちの姿勢から伏せになる時「ドテッ」と勢いがあるのがちょっと気にはなっていました

そして歩いていたのがおとなしくなったので見てみると、また昏睡状態に

慌てても仕方ないので友人にブドウ糖を買ってきてもらいあげました

うまく飲めず少し気管に入ったのか咳をしましたが、その咳の弱さが不安を大きくしました

しかし、しばらくすると立ちあがり、糖液を自ら飲み始めたので少し安心しすぐに帰宅しました

帰宅したカズオは戻ってきている感じがしました

私がトイレに行くと、「ワンワン!」

いつものお約束「トイレをゆっくりさせない攻撃」

「あ!元気出てきた!」

完全に年は越せる(来年早々カズピロと会うことが出来る)と安心しました

が・・・

しばらくすると横になったままでした

私に背を向けていたのですが、頻繁に私の顔を確認するかのように顔をあげては見ていました

そして立ちあがりヨタヨタと歩いて・・・「ドサッ」と横になりました

これはやばい

寝ずに様子を見るつもりでしたがちょっとウトウトした時です

あの時と同じ発作がビクビクと出始めました

こうなると様子を見ることしかできない・・・

祈るように名前を呼び続けました

やがて前足をバタバタしはじめ、苦しんでいるのが分かりました

「カズオ!もういいよ、がんばらなくていいよ!」

その声が届いたのか、間もなく息を引き取りました・・・

新年を迎えることなくそして、カズオの名前から付けたカズピロの顔を見る事なく・・・・

 

今になって思えば、スッキリしないと思った時から策を講じていればこんなことにはならなかったと思います

いつの間にかカズオの生命力に頼って「あの時も乗り越えたから今度も・・」という気持ちになってしまっていたんだと思います

本当にダメな相方です

 

カズオにはたくさんのものをもらいました

本当にかわいくて、おもしろくて・・・

一緒にいるだけで幸せでした

私の全てでした

でも・・・

夢を持ちすぎた分悔しいです

自分の愚かさが腹立たしいです

 

 

明日はカズオの誕生日

生きていれば7歳・・・

正直この日を生きて迎えられるとは最初から思っていませんでした

だからこそ始めたのが「カズオお祝いメッセージ企画」でした

生きているうちにファンのみなさんにお返しをしたい

その気持ちで無理やり企画を作りました

 

明日で本当に最終回です

カズオがいなくなってから毎晩やることがなく、それも辛さに拍車をかけました

いざ書いてみると、それはそれで辛いですね

最終回を投稿した時点で私は二度とここには来ないでしょう

ですので思い残しの無いように思いつくまま書かせてもらいます

これが相方からみなさんへの最後のメッセージです

 

思えば「誰も見ないだろう」と始めたこのブログ

気づけばたくさんの方に支えてもらっていました

カズオがもうだめだとなった時、たくさんの応援コメントを頂き、多くの方に読んで頂けていること、勇気をもらえたことに涙しました

見られるという意識があったので続けられたと思いますし、結果は別としてより良い物を書こうとする努力を保てたのだと思います

有名な犬でも、すごい特技を持っている訳でもない、ただの欠陥犬なのにお守りやおやつ、洋服等頂き、愛を分けて頂き本当に感謝しています

 

今私の中にはあの日で時が止まったままの自分と、無理やり前に進んでいる自分がいます

それは一生続いていきますし、カズオ・兄さん・年増を死なせてしまった罪を墓場まで背負っていく覚悟です

それでも前に進みます、カズオを思い、泣きながらでも前に進みます

そんな状態だといつかは破綻すると思いますが、そうなったらその時どうするか考えます

だから数ミリずつでも前に進みます

私がまだ生きているのは、やるべきことをやりきれていないからなのだと思います

私たちが生きている「今日」は迎える事を望んでも叶わなかった人たちの「明日」

それならば私たちがその思いを受け継ぎ今を生きていこう

 

2年半、充実した時間を過ごすことができました

カズオにとってはどうだったんだろう・・・

病院ブログ時代からの方も、引っ越してからの方も、会うことができた方もできなかった方も、すべての方に

 

ありがとうございました

みなさんの愛に包まれてカズオは幸せでした

時々はあんな犬がいたことを思い出してもらえると嬉しいです

僕は絶対忘れません

カズオのことも、みなさんのことも

 

 

 

途切れる事のない思いがせめて

君のいる場所まで届きますように  

この命捧げて君を救えるなら

この身に火を放ち笑ってみせよう

また生まれ変わってもう一度笑いあえたら

君を忘れはしない

僕は君を忘れはしない

 

 

 

カウントダウン1

 

 

※ここからは業務連絡的な内容になりますので、読み流してください

去年末、カズオにお花を頂いた方にお礼の品をお送りしました

お花を送って頂いた方で、明日を過ぎても届かない場合はご連絡下さい

お礼が届いた方で、中が開けない方もご連絡ください(見れば意味が分かると思います)

2011年5月5日木曜日

大長編 相方地下活動記

まあ・・・誰も知りたくないと思いますが、宣言通り先月は地下活動をしていました

次への準備とお花を頂いた方へのお礼の準備

それと、「勇気を出して初めての人間ドック」行ってきました

少し遠い場所で朝早くから行うため、近くのホテルに1泊

チェックインして部屋に着いた早々大きな余震

部屋は7階だったのでいつまでも揺れるわ建物ギシギシ言うわ大変でした

それも翌日の検査に比べれば全然大変ではなかったのですが・・・

検査内容はわかっていたのですが、やる前から「嫌だな・・」と思っていた検査があります

胃のバリウム造影です

「ゲップを止めないといけない」「バリウム不味い」等様々なネガティブ要因は聞いていましたが・・・

前日からの絶食絶水で、緊張もしており水分が欲しい

そんなところにバリウム

嫌がらせです

発泡剤のゲップを我慢するのに必死なところへやれ「右向け」だ「向き過ぎ」だの注文

そして追加の「そこのバリウム飲んで下さい(最初に飲んだ倍の量)」・・・・

嫌がらせです

やっと解放され全ての検査が終わったところに

「バリウムを早く排出させるためにこの下剤を飲んで下さい」

「はあそうですか・・」

地獄の始まりでした

家まで1時間半

途中下車してピットインしつつ腹痛と闘いながら何とか帰宅

その後も強制腹痛に苛まれ、その日は1日ダウン

翌日からもお腹の調子がすっきりせず、健康体で病院行って具合を悪くして帰ってくるという本末転倒な結果になりました

次回からはバリウム断固拒否します

ちなみにMRIは安い効果音的な音が絶えずして、「本当に検査出来てるのか?」と疑問でした

 

ようやく腹具合が安定した頃石巻へ行きました

自分なりに何かできないかと色々調べた結果、動物救護センターでボランティアをすることを決めました

ペットロス真っ只中の人間に何が出来るのか、という疑問もありましたが被災したのは動物も一緒、それならば自分の経験を活かせるところに行こうと思い決めました

 

福島に入るなり、高速の路面は舗装した部分が多くなり、下道にいたってはボコボコで、横や縦にずれていました

下手に速度を出すととんでもないことになります

特に橋の入り口出口の段差はすごかったです

これだけでも被害の大きさを感じました

 

私がボランティアをした所は周りを見る限りのどかな風景

それでも日中の道路は常に渋滞、昼夜を問わずヘリコプターが飛び、救急車のサイレンも鳴っていました

作業のメインは保護や一時的に預かっている犬猫の世話、後は支援物資の整理等

と、一口に言っても中々大変です

何十頭といる犬の朝の世話をするだけで午前中いっぱいかかります

そんな訳も分からず作業に追われた初日に「(私が帰る)明後日から犬担当のリーダーをお願いします(理由:動物看護士だから)」と言われ「なんですと!?」と大混乱

ほぼボランティアで回している状態で、毎日のように人が入れ替わりになってしまうので仕方ないことですが、大丈夫なのか自分・・・

病院にいたころより体力的にも拘束時間もハードでした(時間に関しては自己申告制なので、何時までいられるかあらかじめ伝えていれば大丈夫ですが、私はリーダーという立場もあり、夜のミーティングにも参加しました)

初日は「なんなんだこれは・・・もうだめだ来なければ良かった・・・」と心折れましたが、何とかなるもので3日目4日目にはすっかり慣れました

私と同じ期間ボランティアをされる方が結構いて、日が経つにつれ、作業終了時間が短くなり「すごい!!」とみんなで感動しました

良いチームワークを築くことができたと思います

そんなある日、「迷い犬がいるので保護に行って欲しい」

ということで、連絡をされた方の後について車で保護に行きました

渋滞の中普通の街並みを見ていましたが、ほんの数キロ走って信号を曲がった途端景色は一変しました

泥や埃をかぶった建物、落ちている屋根

縦に停まっている車、グシャグシャな車

手前と1つ先は点いているのにそこだけ消えている信号

パチンコ屋なのか廃車置き場なのか分からない駐車場

あちこち目につく自衛隊の車両

「うわ・・・」

誰かが「戦場だ」と言っていましたが、そんな感じさえしました

そして住宅街の中へ

路面は乾いた泥だらけ、路地の脇には家の片付けで出た畳や家具が並んでいました

目的地近くに着いたので車を降りました

・・・!?

空気の匂いが・・・

油の匂いが漂っていました(海岸付近はまた違う匂いでした)

その迷い犬がいる家(飼い主の家ではありません)は庭先に車が突っ込んでいる状態でした

かなり臆病になっており、がれきの隙間に潜り込んで、手を出すと咬んでくるような感じでしたが、無事に保護することができました

そう言えば、4月も後半なのにものすごい大雪に見舞われ驚いた日もありました

 

5日間の滞在でしたが、参加して良かったと思います

機会があればまた参加したいと思います

それ以外の期間は遠くから出来る事を続けていきます

 

石巻を立つ日、どうしても見ておきたい場所がありました

そこをこの目に、心に焼き付けないと時間の経過とともに自分の中で震災の事に無関心になってしまう気がしたので

ボランティア活動や地域の方の迷惑になることを考え、早朝向かいました

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工場の駐車場と思われますが、流されたのか運び込まれたのかおびただしいがれきの山でした

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この日は小雨

小雨が一晩ふり続いただけで道路は冠水

途中で車が止まる危険があるので引き返しました

大潮になるともっとすごくなり車では帰れなくなる、とのことでした

上の写真の右が海側になるのですが、みなさんご存じの通りの壊滅状態でした

正直どこを見ても言葉が出ないほど凄惨な状況で、1か月前まで私たちと変わらぬ日常があったとは思えないくらい「生」というものが感じられませんでした

それでいて振り向いた高台(距離にして50~60m先)にはパッと見ですが普通の住宅街で生活感が感じられる・・

奇妙な光景すぎて理解が出来なくなりそうでした

 

そんな状態の中でも春はやってきていました

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それでもみんなが待ち望める春はまだまだ先です

そのためにみんなの力が必要なんだと強く感じました

この先明るい話題も出てくるでしょう

だからと言って復興した訳ではないのです

まだまだ忘れてはいけないのです

対岸の火事ではないのです

これらの写真の光景が数カ月・半年先変わっているか?

答えは「NO」でしょう

私たちは被災地が復興するまで手を差し伸べ続け、見届けなければいけない

それが同じ日本人としてのあるべき姿勢だと思います

支援の形はいくらでもあります

無理のない形で行い続けることが大切です

私だって毎月ボランティアに行ける訳でも、毎月何万も義援金を送れる訳でもありませんから

継続は力なり、です

 

それでも思ったことは、ボランティアに参加してみて頂きたい・・ということです

自己完結が鉄則で、時間的にも費用的にも難しいと思いますが、実際に見る光景、そして空気を感じ、被災された方と接してお手伝いをすることで、画面では伝わらないこと、本当に色々なことを感じますし、考えます

ボランティア中、犬用品全てを流されてしまった飼い主さんに必要なものをお渡しするという機会がありました

「いつもはどんな感じでごはんはあげてますか?」など不備があってはいけないので色々お聞きしながら必要なものを用意してお渡ししたのですが、最後に「ありがとうございます」と言って頂いた時、本当に嬉しかったです

その方は「○○さんね」と私の名前を憶えて帰っていかれたのですが、次にいらした時、私はいないんだよな・・・とちょっと切なかったです・・

ボランティアをしに行ったのに逆に勇気をもらうという意味がこの時よくわかりました

そして必ずまた来よう、と決意しました

 

みなさん悲しんだり苦しんだりしていますが、決して諦めてはいないし前を見て歩こうとしています

どこかの誰かさん(KのA方)とは大違いです

 

相変わらず偉そうなことを言っていますが、偉そうなことを言う以上それに伴った行動をしたい、でなければその言葉に説得力はありません

それもボランティアに参加した理由の一つです

 

あらゆるところから発信しないと関心や意識が薄れてしまう

そうなることが怖いです

 

かなり長くなってしまいましたが、現地の状況を分かる範囲で

ボランティアの人手が足りないのは確かです

私がいたところも「明日は4人!?」なんていうこともありました(実際は当日に参加される方がいたりで何とか人員は確保できました)

やはり平日は人手が足りないようです(私も人手が足りないであろう平日に参加しました)

土地土地で溢れていたり足りなかったりがあるようですが、ボランティアの受け入れ態勢が整っている地域といない地域があるということも理由の一つのように思います

ライフラインは壊滅的な被害を受けた所以外はぼちぼち復旧しているようで、営業しているお店もちらほらありました

内陸へ行けば行くほど路面状態以外はほぼ正常な状態です(それでも閉まっているコンビニを多く見かけました)

ガソリンも20キロ以上内陸では問題なく給油できました

テント泊や車内泊の方が多いようですが、ホテルも一部営業しています

ただし、早めに予約をしないと取れません(1週間前だと結構厳しいです)

私は車内泊2日、センターの方のご厚意でアパート泊2日、ホテル泊2日で、石巻から30キロ内陸に行った所に5件あるビジネスホテルの5件目でようやく予約ができました(現地へ向かう1週間前でした)

車内泊も車を停める場所は事前に確認した方がいいと思います

「ボランティアに行かれる方へ」みたいな感じになってきてしまいましたが、行かれる方は、まず何が必要か、どこへどうやって行けばいいのか等の情報収集をしてください

そして事前にボランティア保険の加入もお忘れなく、計画・準備も怠りなく、です

私が一番不安だったのが、現地へ行って体調を崩して迷惑をかけてしまわないか、でした

ですので、無理をして行かない、これも大事です

 

もし、カズオが生きていたらボランティアに行こうとは思わなかったでしょう

これもカズオの差し金なのかな・・・と考えることもありました

 

カズオの話題でもないのにすっかり長くなってしまいました

私の活動報告を通して改めて被災地のことを伝えたい、そう思ったらこんな長さになってしまいました

内容・言葉の選び方等お気に召さなかったらごめんなさい

 

そして明日も大長編です・・・

 

 

カウントダウン2

2011年4月1日金曜日

あれから

3カ月が経ちました

まだ3カ月・・・

 

心の傷は癒える事を知りません

 

あの時の自分は完全に正常な意思を失っていました

「死ねばカズオに会えるかも」と真剣に考えたり、某江原氏にカウンセリングを受けてカズオが本当に幸せだったか聞こうと調べてみたり、修行して霊視能力を身につければカズオが見えると思って調べてみたり・・・

カズオをフリーズドライのはく製にしようと調べて周りの人に聞いてみたりもしました

ボロボロになってしまいたくても中々うまくいきませんでした

どこか遠くへ行こうと思っても、どこもかしこもカズオとの思い出だらけで結局どこにも行けなかったり・・・

 

まともなコンディションで仕事が出来るようになるのに1カ月かかりました

それでも自分の中で色々なものが欠落してしまいました

病院で飼ってる子達が亡くなっても全く感情が揺れ動かない

上手に笑うことができない・・・

動物が好きと言う感情も薄くなっていました

 

 

正直に言いますと、年は越せると信じて疑っていませんでした

だから新年1発目のネタも考えて準備もしていました

なのであまりの悔しさにそのかぶりものはすぐに捨てました

 

周囲からは「カズオは幸せだった」と言われますが、私はそう思っていません

時に辛く当たってしまったこともありました

そしてあの最期を見たら、本当に幸せだったのか・・・

私がもっときちんと面倒をみていたらあそこで亡くなることはなかったと思います

むしろ私の処置がまずかったせいでカズオは亡くなった、そう思っています

だからカズオを死に追いやったのは私なのです

誰よりも大好きで一緒にいたかったくせに、何一つカズオのためにしてあげられなかった・・・・・・

情けない話ですが、相方失格です

本当にすいません

 

カズオと過ごした毎日はとても満たされて輝いていました

私の人生の後にも先にも1番の最高の時間でした

カズオにはいっぱいいろんなものをもらいました

兄さんがいなくなった悲しさから抜け出させてくれたのもカズオでした

それでもまだカズオに「ありがとう」が言えません

「ありがとう」と言ってしまうと自分のしたことが許されてしまう、そんな気がするので

だからまだ「ごめんなさい」としか言えません

 

叶うことなら、私の命と引き換えにしてでも、悪魔に魂を売ってでも、どれだけ多額のお金がかかってもカズオを甦らせたい

そして今度こそきちんと償いをしたい

それが今の本音です

 

今でも夜に家を空ける用事が出来た時「あ、でもカズオが・・」と一瞬思いますし、普通に「カズオが家で待ってる」と思うこともあります

カズオを思って泣く日も普通にあります

ちなみに亡くなってしばらくは毎晩のように泣いていました

カズピロと富山さんが帰って来た時も・・・

仕事が終わって帰ってくると二人がいました

そこで夕飯を食べ始めたのですが、涙がボロボロと

気づかれたくなくて途中で2階に上がりました

みんなで揃って会う日をずっと楽しみにしていました

あと2週間生きててくれればカズオとみんなで会うことができた

そしたら家族4人で写真を撮って、みんなで出かけて・・・

そこにもささやかですが、いろんな夢をもっていました

慣れない子育てに参った時「なんでいないんだよカズオ!」とカズオに助けを求め泣いた日もあります

 

 

この業は一生消える事はないと思いますが、それでいいと思っています

私のしたことは一生かかっても許されることではありませんし、それでカズオを忘れる事もなくなります

 

この間も書きましたがここに戻るつもりはありませんでした

カズオがいないのに「今日カズ」を続けることはできない

そして何より自分自身が辛いから・・・

 

しかし、あの後もごくわずかではありますが、見て頂いてる人がいて、コメントも残してもらっていることに気づきました

 

こんな終わり方ではいけない

おもしろおかしいブログを目指したなら最後も悲しくてはいけない

そう思い、きちんとした形で終わらせるために戻って来ました

 

なので次回が本当の最終回になります

いつ更新するかはもう決めています

そう、あの日です

 

終わりに向けて動き出します

お花を頂いた方のお礼も準備を始めます

遅くなってしまってすいません

 

 

先月で病院を退職しました

カズオがいなくなったからではありませんのでご安心ください

辞めること自体は1年ほど前に決まっていました

ただ、こうなってみるとカズオと会うために就職したのかと思わざるを得ません

私が入った年にカズオが来て私が辞める年にいなくなる

運命だったんでしょうか

 

長々と面白みのない長文を読んで頂きありがとうございました

読んでお分かりになると思いますが、今でも気持ちの整理はつかずグチャグチャです

気持ちのいい内容ではありませんが、私の偽らざる気持ちで、奇麗事を書くつもりもありませんでしたのでお許し頂ければ幸いです

 

小さい体なのに、とてつもなく大きな存在・・・

カズオは私の「全て」でした

今私のパソコンのデスクトップにはカズオがいます

手を伸ばせば触れられそうなくらいです

でも手を伸ばせば触れないことに気が付いてしまい寂しくなるので伸ばしません

 

しばらく地下活動期間に入ります

あの日に、みなさんが納得できる形になるかは分かりませんが、お待ちしています

2011年3月17日木曜日

すいません

もうここには戻ってくるつもりはなかったのに・・・

更新することのない今日カズを、それでも毎日立ち寄ってくれる方がいて、コメントを頂いていることに今さら気づきました

 

今私にできること・・・

 

すいません

もう少しだけ時間をください

 

今日カズ110317

・・・・・・?

 

 

きゃるはなさん、そんな大事な事があったにも拘らず今知った(確認した)ことをお許しください

 

そして毎日チェックして頂いているみなさん、私の心の弱さをお許しください

そして引き続きカズオに頂いた同様の力を震災被害に遭われている方たちへお願い致します

今日カズ1103172

・・・・・?

2010年12月31日金曜日

あとがき

あれだけ泣いたのはこれが最初で最後だと思います

今は泣くと言う感情もどこかへ行ってしまうほど感情を無くしてしまいました

上手い言葉は出てこず、ネガティブな言葉しか出てきません

しかし来年まで持ちこさないために、けじめとして終わらせてもらいます

 

お花を頂いたみなさん、ありがとうございました

間に合ったものは棺に入れさせて頂きました

落ち着いた頃改めてお礼をさせて頂きます

 

やまなかさん、相談に乗って頂きながら返事を返せずすいません

上記の理由で返事を差し控えさせていただきました

 

コメントを頂いたみなさま、ありがとうございました

 

元日に間に合うように亡くなる前に年賀状を出してしまいました

年賀状が届いた方、どうぞ笑顔で見てあげてください

カズオからの最後のプレゼント、最高の出来の年賀状です

 

ここには元気だったカズオがいつでもいます

もし、カズオのことを思い出し、会いたくなったらいつでもいらしてください

 

皆様方におかれましては、来年が私のような辛いことがない1年になることを心よりお祈り申し上げます

 

それではカズオからの最後のメッセージでカズオと私の物語を終わらせて頂きます

本当に、本当にありがとうございました

 

 

 

IMG_0004

 

今日のカズオ おしまい

 

http://nicosound.anyap.info/sound/nm9733062

http://nicosound.anyap.info/sound/sm1951036

2010年12月27日月曜日

今日のカズオ

夜中に再び状態が悪くなり、そのまま悪化

12月27日午前5時1分

カズオは空へ還って行きました

 

今は何も言うことができませんが、今まで本当にありがとうございました

 

追伸

明日(28日)午後3時から南足柄市の珠明寺(スポーツ公園近く)にて最後のお別れをします

お仕事や年末でお忙しいと思いますが、ご参列頂ければ幸いです