まあ・・・誰も知りたくないと思いますが、宣言通り先月は地下活動をしていました
次への準備とお花を頂いた方へのお礼の準備
それと、「勇気を出して初めての人間ドック」行ってきました
少し遠い場所で朝早くから行うため、近くのホテルに1泊
チェックインして部屋に着いた早々大きな余震
部屋は7階だったのでいつまでも揺れるわ建物ギシギシ言うわ大変でした
それも翌日の検査に比べれば全然大変ではなかったのですが・・・
検査内容はわかっていたのですが、やる前から「嫌だな・・」と思っていた検査があります
胃のバリウム造影です
「ゲップを止めないといけない」「バリウム不味い」等様々なネガティブ要因は聞いていましたが・・・
前日からの絶食絶水で、緊張もしており水分が欲しい
そんなところにバリウム
嫌がらせです
発泡剤のゲップを我慢するのに必死なところへやれ「右向け」だ「向き過ぎ」だの注文
そして追加の「そこのバリウム飲んで下さい(最初に飲んだ倍の量)」・・・・
嫌がらせです
やっと解放され全ての検査が終わったところに
「バリウムを早く排出させるためにこの下剤を飲んで下さい」
「はあそうですか・・」
地獄の始まりでした
家まで1時間半
途中下車してピットインしつつ腹痛と闘いながら何とか帰宅
その後も強制腹痛に苛まれ、その日は1日ダウン
翌日からもお腹の調子がすっきりせず、健康体で病院行って具合を悪くして帰ってくるという本末転倒な結果になりました
次回からはバリウム断固拒否します
ちなみにMRIは安い効果音的な音が絶えずして、「本当に検査出来てるのか?」と疑問でした
ようやく腹具合が安定した頃石巻へ行きました
自分なりに何かできないかと色々調べた結果、動物救護センターでボランティアをすることを決めました
ペットロス真っ只中の人間に何が出来るのか、という疑問もありましたが被災したのは動物も一緒、それならば自分の経験を活かせるところに行こうと思い決めました
福島に入るなり、高速の路面は舗装した部分が多くなり、下道にいたってはボコボコで、横や縦にずれていました
下手に速度を出すととんでもないことになります
特に橋の入り口出口の段差はすごかったです
これだけでも被害の大きさを感じました
私がボランティアをした所は周りを見る限りのどかな風景
それでも日中の道路は常に渋滞、昼夜を問わずヘリコプターが飛び、救急車のサイレンも鳴っていました
作業のメインは保護や一時的に預かっている犬猫の世話、後は支援物資の整理等
と、一口に言っても中々大変です
何十頭といる犬の朝の世話をするだけで午前中いっぱいかかります
そんな訳も分からず作業に追われた初日に「(私が帰る)明後日から犬担当のリーダーをお願いします(理由:動物看護士だから)」と言われ「なんですと!?」と大混乱
ほぼボランティアで回している状態で、毎日のように人が入れ替わりになってしまうので仕方ないことですが、大丈夫なのか自分・・・
病院にいたころより体力的にも拘束時間もハードでした(時間に関しては自己申告制なので、何時までいられるかあらかじめ伝えていれば大丈夫ですが、私はリーダーという立場もあり、夜のミーティングにも参加しました)
初日は「なんなんだこれは・・・もうだめだ来なければ良かった・・・」と心折れましたが、何とかなるもので3日目4日目にはすっかり慣れました
私と同じ期間ボランティアをされる方が結構いて、日が経つにつれ、作業終了時間が短くなり「すごい!!」とみんなで感動しました
良いチームワークを築くことができたと思います
そんなある日、「迷い犬がいるので保護に行って欲しい」
ということで、連絡をされた方の後について車で保護に行きました
渋滞の中普通の街並みを見ていましたが、ほんの数キロ走って信号を曲がった途端景色は一変しました
泥や埃をかぶった建物、落ちている屋根
縦に停まっている車、グシャグシャな車
手前と1つ先は点いているのにそこだけ消えている信号
パチンコ屋なのか廃車置き場なのか分からない駐車場
あちこち目につく自衛隊の車両
「うわ・・・」
誰かが「戦場だ」と言っていましたが、そんな感じさえしました
そして住宅街の中へ
路面は乾いた泥だらけ、路地の脇には家の片付けで出た畳や家具が並んでいました
目的地近くに着いたので車を降りました
・・・!?
空気の匂いが・・・
油の匂いが漂っていました(海岸付近はまた違う匂いでした)
その迷い犬がいる家(飼い主の家ではありません)は庭先に車が突っ込んでいる状態でした
かなり臆病になっており、がれきの隙間に潜り込んで、手を出すと咬んでくるような感じでしたが、無事に保護することができました
そう言えば、4月も後半なのにものすごい大雪に見舞われ驚いた日もありました
5日間の滞在でしたが、参加して良かったと思います
機会があればまた参加したいと思います
それ以外の期間は遠くから出来る事を続けていきます
石巻を立つ日、どうしても見ておきたい場所がありました
そこをこの目に、心に焼き付けないと時間の経過とともに自分の中で震災の事に無関心になってしまう気がしたので
ボランティア活動や地域の方の迷惑になることを考え、早朝向かいました
工場の駐車場と思われますが、流されたのか運び込まれたのかおびただしいがれきの山でした
この日は小雨
小雨が一晩ふり続いただけで道路は冠水
途中で車が止まる危険があるので引き返しました
大潮になるともっとすごくなり車では帰れなくなる、とのことでした
上の写真の右が海側になるのですが、みなさんご存じの通りの壊滅状態でした
正直どこを見ても言葉が出ないほど凄惨な状況で、1か月前まで私たちと変わらぬ日常があったとは思えないくらい「生」というものが感じられませんでした
それでいて振り向いた高台(距離にして50~60m先)にはパッと見ですが普通の住宅街で生活感が感じられる・・
奇妙な光景すぎて理解が出来なくなりそうでした
そんな状態の中でも春はやってきていました
それでもみんなが待ち望める春はまだまだ先です
そのためにみんなの力が必要なんだと強く感じました
この先明るい話題も出てくるでしょう
だからと言って復興した訳ではないのです
まだまだ忘れてはいけないのです
対岸の火事ではないのです
これらの写真の光景が数カ月・半年先変わっているか?
答えは「NO」でしょう
私たちは被災地が復興するまで手を差し伸べ続け、見届けなければいけない
それが同じ日本人としてのあるべき姿勢だと思います
支援の形はいくらでもあります
無理のない形で行い続けることが大切です
私だって毎月ボランティアに行ける訳でも、毎月何万も義援金を送れる訳でもありませんから
継続は力なり、です
それでも思ったことは、ボランティアに参加してみて頂きたい・・ということです
自己完結が鉄則で、時間的にも費用的にも難しいと思いますが、実際に見る光景、そして空気を感じ、被災された方と接してお手伝いをすることで、画面では伝わらないこと、本当に色々なことを感じますし、考えます
ボランティア中、犬用品全てを流されてしまった飼い主さんに必要なものをお渡しするという機会がありました
「いつもはどんな感じでごはんはあげてますか?」など不備があってはいけないので色々お聞きしながら必要なものを用意してお渡ししたのですが、最後に「ありがとうございます」と言って頂いた時、本当に嬉しかったです
その方は「○○さんね」と私の名前を憶えて帰っていかれたのですが、次にいらした時、私はいないんだよな・・・とちょっと切なかったです・・
ボランティアをしに行ったのに逆に勇気をもらうという意味がこの時よくわかりました
そして必ずまた来よう、と決意しました
みなさん悲しんだり苦しんだりしていますが、決して諦めてはいないし前を見て歩こうとしています
どこかの誰かさん(KのA方)とは大違いです
相変わらず偉そうなことを言っていますが、偉そうなことを言う以上それに伴った行動をしたい、でなければその言葉に説得力はありません
それもボランティアに参加した理由の一つです
あらゆるところから発信しないと関心や意識が薄れてしまう
そうなることが怖いです
かなり長くなってしまいましたが、現地の状況を分かる範囲で
ボランティアの人手が足りないのは確かです
私がいたところも「明日は4人!?」なんていうこともありました(実際は当日に参加される方がいたりで何とか人員は確保できました)
やはり平日は人手が足りないようです(私も人手が足りないであろう平日に参加しました)
土地土地で溢れていたり足りなかったりがあるようですが、ボランティアの受け入れ態勢が整っている地域といない地域があるということも理由の一つのように思います
ライフラインは壊滅的な被害を受けた所以外はぼちぼち復旧しているようで、営業しているお店もちらほらありました
内陸へ行けば行くほど路面状態以外はほぼ正常な状態です(それでも閉まっているコンビニを多く見かけました)
ガソリンも20キロ以上内陸では問題なく給油できました
テント泊や車内泊の方が多いようですが、ホテルも一部営業しています
ただし、早めに予約をしないと取れません(1週間前だと結構厳しいです)
私は車内泊2日、センターの方のご厚意でアパート泊2日、ホテル泊2日で、石巻から30キロ内陸に行った所に5件あるビジネスホテルの5件目でようやく予約ができました(現地へ向かう1週間前でした)
車内泊も車を停める場所は事前に確認した方がいいと思います
「ボランティアに行かれる方へ」みたいな感じになってきてしまいましたが、行かれる方は、まず何が必要か、どこへどうやって行けばいいのか等の情報収集をしてください
そして事前にボランティア保険の加入もお忘れなく、計画・準備も怠りなく、です
私が一番不安だったのが、現地へ行って体調を崩して迷惑をかけてしまわないか、でした
ですので、無理をして行かない、これも大事です
もし、カズオが生きていたらボランティアに行こうとは思わなかったでしょう
これもカズオの差し金なのかな・・・と考えることもありました
カズオの話題でもないのにすっかり長くなってしまいました
私の活動報告を通して改めて被災地のことを伝えたい、そう思ったらこんな長さになってしまいました
内容・言葉の選び方等お気に召さなかったらごめんなさい
そして明日も大長編です・・・
もう随分経ちましたね。元気はちょっとは戻りましたか?
返信削除私は前の猫を亡くした時、4ヶ月泣きっぱなしでした。
バリウムより胃カメラの方が辛いと思います。
被災地へ行かれたとは素晴らしいです!私は行くことが出来ないので義捐金で応援しました(まう太達も寄付をして新聞に名前を載せてもらいました)
震災時は宮城の知り合いと連絡が取れなかったり、余震や停電で鬱状態になりました。被災地の方々の精神状態が心配です。
特に家族や家やお金や全て失くした方。段々復興へと向かっている時、きっと一人で落ち込んでいるでしょう。自分に何か出来ないか、ずっと迷っています。
昨日出かけた先で、かごに保護された捨て猫がいました。
白ベースで可愛い赤ちゃん猫数匹。連れて帰りたいのはやまやま。早くママが見つかることを祈るのみ(T_T)
能天気な話題・・先日、影絵作家の展示会、サイン会に行き、握手してもらいました。
彼が一緒に過ごした今は亡き猫達の影絵、版画がたくさんでした。
自宅スタジオ展で他の動物も逢えるらしいので行ってみようと思いました。
まう太くんのママさんへ
返信削除ごぶさたしてます
あの時少しの行き違いで気分を害させてしまったこと、お詫びします
ご意見を素直に受け入れられる心の余裕もなく、意固地なものでご迷惑をおかけしました
元気だと思うのですが、膝と腰がずっと痛いです
泣くことは大分減りました
それでも心の穴は全く小さくなりません
内視鏡は上手い医師だと何の不快さもなく終わると経験された方が言ってました
まずは自分も経験してから判断したいと思います
被災地には多種多様な問題が山積してます
集団生活から来るストレス
未だ行方がわからない家族
生活を送るための資金
健康面
原発問題・・・
私たちに出来ることも色々あると思います
今はネットで何でも情報が入ります
それを活用して自分が出来ることを探して行ったり、義援金・支援金を送る
何よりも続けていくことが大事だと思います